前置き
コーヒーステーションと読者様と共に、創り上げる参加型企画!
お盆休暇にぴったりな小説を紹介します。今回のテーマは“コーヒーを好きになった理由”
小説家「未上夕二」氏による素敵なエッセイをコーヒーブレイクにどうぞ~☕
本編
面倒くさがりっぷりには定評がある。
四角な座敷を丸く掃き、縦のものを横にもしないというズボラを表す慣用句は自分のために作られたのではないかと思うほど、面倒なことは避けて通りたい性分だ。
結婚直後に連れ合いにたしなめられて以来やらなくなったが、レトルトのパスタソースを温めるのにパスタと一緒に茹でたり、使ったマグカップは軽くゆすいだだけで別の飲み物を注いだりするなど、できることならなんでも簡単に済ませたい。
効率化に加えてタイムパフォーマンスという言葉が注目されているらしい。効率化すれば日常の、そして仕事の諸々をムラや無駄なく、面倒なことをせずに進めることができるのはわかっているのだけど、効率化してタイムパフォーマンスを向上する仕組みを作る作業がまず面倒くさい。かくして面倒くさいとぼやきながら、面倒なままに面倒なことを続けているのだ。
面倒くさがりなので、手間をかけるということもできれば避けて通りたい。
厨房の見える食堂で、配信されている動画のなかで、たまに買ったりするレシピ本で、プロの料理人たちがその手腕を発揮する様を目にするにつけ、炒め物の具材は大きさを揃えたり、ステーキの肉はあらかじめ筋を切ったり、出し汁は鰹や昆布、煮干などを組み合わせて作ったり──煮干に至っては小指の先ほどの大きさのカタクチイワシの頭とはらわたを外して──などなど、なんと手間暇がかかっているのだろうと感心してしまう。
もっとも彼らはそれらの工程を手間とも感じていないのだろうが、自分にとってはとてつもなく面倒なことのように思えるのだ。レシピ本を参考にしながらも、細かいところは見なかったふりをして『それなり』に体裁を整えたもので済ましてしまう。
コーヒーにしてもそうだ。淹れる直前に豆を挽き、あらかじめポットとカップを温め、抽出には沸騰したお湯を火からおろして一分ほどおいておよそ93℃にしたものを使う。お湯はいきなりどぼどぼと注ぐのではなく、まずコーヒー粉にまんべんなくふくませじっくり蒸らす。ドリッパーなどの器具によっては豆の挽く粗さや分量を変えたほうがいい、と入手したコーヒー読本に書いてあった。
けれどもやっていることといえば目分量のコーヒー粉をドリッパーに投入し、沸かしたてのお湯で抽出し、冷えたマグカップにそのまま注ぐ。本の通りに淹れればおいしいコーヒーができるのだろうということはわかっているのだが、どうにも面倒くさく感じてしまうのだ。
敬愛する作家、故中島らも氏の小説のなかで、半ばカフェイン中毒気味でインスタントコーヒーを愛飲している主人公のひとりが、水道の蛇口をひねってコーヒーが出てくるのならばそれが一番だなどとうそぶく場面があるが、ひそかにうなずいてしまう自分がいた。
どんな淹れ方をしてもちゃんとおいしくなるのはコーヒーの持つポテンシャルの高さによるものなのだろう。かくして自分の適当作法で淹れたコーヒーを飲んで、これで十分おいしいじゃないかとずっと満足してきた。
ある日、連れ合いがコーヒーを淹れるからと奇妙な器具を出してきた。黒い板を二枚重ねたような器具だった。板の一端には細長い画面があり、時間と重量が表示されるようになっている。これは計量器で、画面を見ながら蒸らす時間を計り、ドリッパーに注ぐお湯の量を確認しつつコーヒーを淹れるために使うドリップスケールというものなのだという。
へぇ、と感心するものの、そんなに味が変わるものなのかなと半信半疑で淹れたてのコーヒーに口をつけた。
驚いた。同じコーヒー豆と水を使っているはずなのに、口当たりは柔らかくてまろやかで、苦味はなく甘ささえ感じた。これまで苦さがウリのコーヒー豆だと思っていたのだが、いったい苦さはどこにいったのだろうと、カップに口をつけるたびに舌の味蕾を総動員して探してしまうくらい、まるで味が違うのだ。適当な淹れ方ではコーヒーの持ち味のひと欠片さえも引き出せてはいなかった。
ちょっとしたことなのだ。豆の挽き具合、お湯の温度、抽出にかける時間とカップや器具の保温などなど、列挙しても両手の指の数にも満たない手間を守れば、想像を超える味を楽しむことができる。
探りながら飲んでいたはずが、いつの間にかじっくりとコーヒーを味わうようになっていた。なんということのないその時間がとても贅沢なもののように思えた。この時が本当の意味でコーヒーが好きになった瞬間だ。あの日からなんどか試行錯誤を繰り返し、ちょっとはイケるコーヒーを淹れられるようになったような気がしている。なんども繰り返し視聴しているために、動画配信サイトではしきりにコーヒーの淹れ方講座をすすめられるようになったし、コーヒー読本も数冊増えた。
定評のある面倒くさがりっぷりも、おいしいコーヒーには敵わない。まずはケトルでお湯を沸かして、その間にコーヒー豆を挽いておこう。お気に入りは深煎りの中粗挽きだ。
■未上夕二(みかみ・ゆうじ)氏について
小説家、鍼灸師
1973年、大阪府生まれ。駒澤大学文学部英米文学科卒業。2014年に『心中おサトリ申し上げます』で第5回野性時代フロンティア文学賞受賞し、デビュー。会社員を経て、鍼灸師となり、鍼灸治療院を経営。著書に『お役に立ちます! 二級建築士 楠さくらのハッピーリフォーム』『鍼灸日和』がある。