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一杯目~コーヒーを通して生まれたありがとう~

前置き

「コーヒーを通して生まれたありがとう」エピソードを読者様より募集し先日結果を発表いたしました!

この3連休ではこれらに沿ったテーマで、小説家「未上夕二」氏による小説を3本立てでお届けいたします。それでは早速、お昼のコーヒーブレイクと共にほっと心が温まるお話をどうぞ~☕

読者によるコーヒーを通して生まれたありがとうエピソードの結果発表記事:https://coffee-station.jp/archives/23226

本編

未上夕二


やっぱり道を間違えちゃったのかな──。

 ずっと立っているせいで脚はいつもぱんぱんだし、腰も痛いし、指にできたばかりの火傷の跡がジンと痛むしもう最悪。

「すみませーん」

 ホールの奥からの呼ぶ声に、憂いを胸の奥にしまいこんだ明日香は「はい」と返事をすると、笑みを作って歩き出す。

 明日香がこのカフェで働くようになって一年になる。初めてマスターが淹れてくれたコーヒーを飲んだ時には衝撃を受けた。コーヒーがこんなにおいしいものだとは知らなかったのだ。コーヒーに魅入られた明日香は一念発起して五年務めた会社を辞め、この道に飛び込んだ。

 でも──。

「この、カプチーノ、ください」

 たどたどしい声で高校生の男の子が言う。受験生なのだろう、二人掛けのテーブルには近くにある大学の問題集が置いてある。注文を終えるとすぐに浮かない顔で問題集を広げた。

「かしこまりました」

 ボールペンでオーダー票に注文を書き込む。ペンが絆創膏の下の傷口に当たって思わず顔をしかめてしまう。

 この一年、ずっと練習を重ねているのだけど、火傷ばかりが増えるだけでドリップコーヒーでも、マシンで淹れるエスプレッソでも、カフェラテでも、マスターからお客様に出していいという許可がおりない。だからこうして靴底を減らしながら、ホールスタッフとして客席の間を歩き回る日々を送っている。

自分が淹れるコーヒーを飲んでお客様が笑顔になる──。頭に描いている予想図は、最近少し色褪せてきているように感じる。

「ワン、カプチーノ」

「はい」

 明日香のオーダーにマスターは白髪を揺らして静かにうなずくと、ちらりと視線をホールの奥に走らせる。

 グラインダーで挽いたコーヒー粉を金属製のフィルターに入れ、粉をならし、押し固める。その的確で丁寧な動きに明日香は目を奪われた。カップに抽出されたエスプレッソにスチームで泡立てたミルクを注ぐと、表面を爪楊枝でなぞる。

 あ──。

「お待たせ」

 カウンターをカップに置くと、マスターはわずかに頬を緩ませた。

 トレーにカプチーノのカップを載せて明日香はホールを進む。


「お待たせしました」

 高校生の席に着いた明日香は、問題集とノートの隙間にカップを置いた。すみません、と頭を下げると彼はカプチーノに手を伸ばす。

「あっ!」

 驚嘆する声がした。カップを両手で持った彼はまん丸い目でカプチーノの表面を見ていた。そこにあるのは二つの目を見開いたダルマと『合格祈願』の文字だった。その見事な造形に明日香の技量はまだ到底及ばない。

「ありがとうございます」

 そう言った彼はカプチーノをひと口飲み、「おいしいです」と笑う。

 不意に鼻の奥がツンと熱くなる。

 自分が見たかった光景がそこにあった。

頑張れ自分。たった一年、足踏み状態が続いているだけだ。へこたれている場合じゃない。

「ごゆっくり」

 寛いだ顔でカプチーノを楽しんでいる彼に言い、顔をあげて明日香は歩き出す。

 あたしだって、絶対にいつか──。


2杯目は明日7日(日)12時に公開!

■未上夕二(みかみ・ゆうじ)氏について

小説家、鍼灸師

1973年、大阪府生まれ。駒澤大学文学部英米文学科卒業。2014年に『心中おサトリ申し上げます』で第5回野性時代フロンティア文学賞受賞し、デビュー。会社員を経て、鍼灸師となり、鍼灸治療院を経営。著書に『お役に立ちます! 二級建築士 楠さくらのハッピーリフォーム』『鍼灸日和』がある。


ミルク出し
香りマグカップ