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二杯目~コーヒーを通して生まれたありがとう~

前置き

「コーヒーを通して生まれたありがとう」エピソードを読者様より募集し先日結果を発表いたしました!

この3連休ではこれらに沿ったテーマで、小説家「未上夕二」氏による小説を3本立てでお届けいたします。それでは早速、お昼のコーヒーブレイクと共にほっと心が温まるお話をどうぞ~☕

読者によるコーヒーを通して生まれたありがとうエピソードの結果発表記事:https://coffee-station.jp/archives/23226

本編

未上夕二


さむっ──。

カフェを出てすぐに、真也はコートの襟を合わせた。十一月にしては空気は冷たいが、それでも胸の奥はほんのりと温かい。

間近に迫った大学受験にクラス中がピリついている。息が詰まりそうになって今日は、一人で勉強しようとたまたま目についたカフェに入ってみたのだ。

『合格祈願』

 初めて頼んだカプチーノには、白いだるまと共にこの四文字が添えられていた。よほどしょぼくれて見えたのだろう、店の人が気を利かせてくれたのだ。実際、この近くにある第一志望の大学は、模試でB判定しかでていない。

 よし、と夕焼けの空に両手を突きあげた。家に帰ったらもうひと踏ん張りだ。応援されるって、こそばゆいけど嬉しいものだ。


 アパートに帰ると薄暗い自室の電気をつけ、「やるか」と気合をいれて真也は机にテキストを広げる。英文法の問題を解いていると玄関のドアの開く音がした。窓から見える空には星が瞬いていた。

「遅くなってごめんね」

 母親の芳江が帰ってきた。洗面所で手を洗う気配の後、米を研ぐリズミカルな音が聞こえてくる。

「ごはんできたよ」

 呼びかける声に英文法のテキストを閉じたのは、それから三十分ほどしてからのことだ。キッチンのテーブルにはご飯と回鍋肉、スープにサラダが並んでいる。いただきますと食べ始めるが、真也は芳江がまだ着替えも済ませていなかったことに気がついた。

食事の後に再び部屋で勉強を始める。台所からは皿を洗う音が聞こえてきた。世界史の十字軍のくだりを終えたところで喉の渇きを覚えた。水でも飲もうと部屋を出ると、居間に座って芳江が分厚い本のページをめくっていた。

「なに読んでんの?」

 集中していたのだろう、芳江は驚いたように顔をあげる。

「お母さん、新しい部署に異動になったから、そこの勉強」

 大人になっても勉強が必要だという事実に真也は驚いた。

「コーヒー飲む? お母さん淹れてあげる」

「いや、俺が淹れるよ」

 お袋っていつも頑張ってるな──。

ケトルに火をかけながら真也は改めて思う。

 親父を亡くしてからずっと、朝早くに起きて弁当を作ってから病院の仕事に行き、帰ってすぐに夕食を作って、今だって仕事のための勉強をしている。家事も仕事もちゃんとするなんて並大抵のことじゃない。

いつの間にかそれが当たり前に思えて、俺は感謝の言葉ひとつかけたことがなかった。カフェで温かな言葉をもらった今、なおさらそれを後悔してしまう。

 お湯が沸いた。

 コーヒーを作りながら考える。ありがとう、と言うのはなんだか照れくさいし……。

結局、思いつく前にお湯を注ぎ終えた。真也は芳江に「ん」と言ってカップを手渡した。

「ありがとう」

 カップを受け取った芳江は嬉しそうにコーヒーを飲む。

「────」

 いつもありがとうという声は口の中に消えた。真也の顔をちらりと見た芳江は、ふふっと笑って「おいしい」と言った。

 明日から皿洗いやるし──。

 心の中で呟きながら、真也は「ん」とだけ言った。

3杯目は明日8日(月)12時に公開!

1杯目はこちら

■未上夕二(みかみ・ゆうじ)氏について

小説家、鍼灸師

1973年、大阪府生まれ。駒澤大学文学部英米文学科卒業。2014年に『心中おサトリ申し上げます』で第5回野性時代フロンティア文学賞受賞し、デビュー。会社員を経て、鍼灸師となり、鍼灸治療院を経営。著書に『お役に立ちます! 二級建築士 楠さくらのハッピーリフォーム』『鍼灸日和』がある。


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