【粕谷哲氏プロフィール】
コーヒー業界に足を踏み入れてわずか3年で、ブラックコーヒーの美味しさや抽出の技術力、総合的な知識を競う世界大会『WORLD BREWERS CUP』で2016年にアジア人で初めて世界チャンピオンに輝く。
世界大会で発表した独自のドリップ方法「4:6メソッド」はコーヒーの味わいを数値でコントロールするという革新的な手法で、『誰でも簡単に美味しいコーヒーを入れることが出来る』と、世界中のトップバリスタはじめ一般のコーヒー愛好家から今なお支持され続けている。
世界大会優勝後は世界各国のバリスタのコーチングを行っており、2018年には自身の教え子も同大会で世界一になるなど、トップバリスタを育てるコーチとしても活躍中である。
2017年には千葉県船橋市に、自らコーヒー豆の買付や焙煎を行い、品質を監修する自家焙煎コーヒー店「PHILOCOFFEA」を設立。
大手企業のコンサルタントや製品プロモーション、商品開発などを精力的に行う。
コーヒーとの出会い
コーヒーとの出会いは最悪でした。
2012年の5月末、私は突然1型糖尿病を宣告され、急遽入院となりました。今後糖尿病と生きていくための教育と詳細検査のためです。
その頃の私は都内IT企業でコンサルタントとして忙しい毎日を送っていましたが、突然の入院生活で時間が有り余ることに。
糖尿病になると1型、2型に問わず、血糖値を下げることが難しくなります。特に1型糖尿病はインスリンという血糖値を下げるホルモン自体が出なくなる、もしくは、自己免疫異常によりインスリンを作るβ細胞自体を自己破壊してしまうので、インスリン注射が必要になることが多いです。そのため、糖質の多いジュースなどを飲むとその都度インスリン注射をすることになるので、それは面倒だということで代替品を探すことにしました。糖尿病でも飲める飲み物はなにかなと。
そこで見つけたのが、コーヒーでした。どうやらコーヒーは糖尿病の予防に効果があるとのことでしたが、暇を持て余していた私には細かい部分の説明を読んでいるより、暇つぶしのためのハンドドリップセットを買いに行くことのほうがよほど重要でした。早速病室を抜け出して近くのコーヒーショップでドリップに必要な器具を買い、ドリップの方法を教えてもらい、これで暇な時間ともおさらばだ、と意気揚々と病室に戻ったのを覚えています。
病室に戻り次第コーヒーを入れる準備。
ベッドの上には、珈琲の豆、ドリッパー、サーバー、琺瑯のケトル、そして、ハンドグラインダー。頭の中には、教わった手順。
さぁ準備は万全、美味しいコーヒーを楽しもう!と思ってお湯を注いだところ、全然お湯が落ちていかない。しかし、どうすることも出来ないまま、そしてなぜかも分からないまま、教えてもらった数倍以上の時間をかけてコーヒーが完成。
もちろん、飲んでみると「美味しい」とはかけ離れた味の不味いコーヒー。
これが私とコーヒーとの出会いでした。今でも鮮明にこのシーンを覚えています。
しかし、そのときの私にとって不味いのはどうでもよかったようで、そんなことよりも、「どうしてこうなったんだろう。教わったとおりにやったはずなのに。どうすればちゃんと抽出できるのか。どうすればもっと美味しくなるんだろう。・・・」と疑問が尽きませんでした。
そのときの疑問は今も私の心の中心にあり、コーヒーに向き合う原動力となっています。
また、美味しいコーヒーをどうやって作るかという疑問から始まったことが、今では、「どうやったらたくさんの人に届けられるのか」「どうしたらもっとコーヒーのことを知ってもらえるか」という疑問にまで変わってきているというのも面白い変化です。
そもそもコーヒーで商売をするということはそういうことなのかもしれないです。美味しいを作る、から、美味しいを届ける、というのがビジネスにおいては重要で避けては通れない分野かと思います。病室で始まった趣味が今ではビジネスに置き換わっている。こう見ると出会ったときよりもドライな付き合い方になってしまったように見えますが、コーヒーを愛する人間の一人として誇らしいと思います。
コーヒーという魅力を世界に届ける役割を与えられたのでしょう。
珈琲の魅力
コーヒーの魅力は、なんといってもその多様性にあります。
原産国や品種といったコーヒーそのものの多様性はもちろん、美味しさの多様性、楽しみ方の多様性、入れ方や焙煎方法の多様性など、挙げればキリがありません。その多様性は誰をも迎え入れる包容力を持ち、だからこそ世界中で愛される飲み物になっていったのでしょう。
世界は多様性に溢れているからこそ、コーヒーはその世界に必要とされるのかも知れないです。あらゆる人種や国、宗教など、そういった”違い”のすべてをコーヒーは結びつけてくれる力を持っているように感じざるを得ません。
コーヒーを前にしてそういった違いは無力です。
人生に与えた影響
コーヒーが私の人生に与えた影響は計り知れません。幸運にも世界チャンピオンになったことはその一部でしかなく、もっとも重要な変化は私の見える世界が広がったことです。
もっと美味しいコーヒーを作りたい、もっといろんなコーヒーが知りたい、と思えば思うほど、日本を含めて広く世界を知らなくてはいけないという考えに至ります。その過程で自分の想像の範疇を超える知識や技術、経験を持ったバリスタやロースターに出会うこともありますし、生産者の工夫や努力、進歩を知ることもありますし、コーヒー自体を作る地球の神秘にすら出会います。そのたびに、自分の小ささを思い知り、同時に世界の広さを知るのです。
自分の世界がいかに小さくて閉じられたものであることを、コーヒーを通じて知ることができる。人生においてこれ以上大きくて重要な影響があるでしょうか。なぜなら、世界の広さを知ることは、自分の無限の可能性を知ることでもあるからです。
コーヒーによって私は自分自身に広い世界を見ることが出来たのです。
珈琲を抽出することの意義や楽しさ
私の趣味の一つに写経があります。仏教徒というわけではないので経文の意味を頭の中で考えることになるのですが、そのままひたすら筆を進めていると、次第に頭の中と腕の動きが分離していく感覚に陥ります。
頭で経文の意味を何度も考え、腕は半ば反射的に経を写すだけ。これを繰り返していくと、集中しながらも別のことを考えて行動できるようになるのです。
実は同じことがコーヒーの抽出にも言えると思っています。コーヒーにお湯をかけるという作業を集中してやりながら、頭の中では今コーヒーがどのような状態にあるのか、次どのように注ぐべきなのか、これが正解なのか誤りなのか。を考える。
コーヒーを作るというのは、美味しいコーヒーを入れることが目的ではありますが、コーヒーに正面から向き合い、コーヒーを抽出するという行為そのものが集中力を高める行為でもあるのではないかなと思います。
もちろん、コーヒーの抽出だけで言えば、どうしたら美味しくなるのか、どうしたらもっと美味しく抽出できたのだろうか、世の中で言われていることは本当に正しい入れ方なんだろうか、といったことを考えること自体が面白いところでもあり、実際に美味しく入れられたかどうかというのは実はそんなに重要なことではないのかも知れないです。美味しいにこしたことはないですけどね。ただ、不味いという結果からも学べることはたくさんあるので、美味しいかどうかだけで楽しもうとしない心の余裕もコーヒーを楽しむ上では必要ではないでしょうか。
人それぞれに楽しみ方があって良いというのもコーヒーの懐の広さでもあり、幅広い人達に支持される理由なのでしょう。
私にとってコーヒーとは
今までに何度も「自分にとってコーヒーとはなんだろうか」と考えたとき、他人と自分とを繋ぐツールだと思うことが多かったです。
しかし今思うのは、自分自身と向き合うためのツールなのではないかということ。自分の気持ちに嘘をついてしまいそうなときもコーヒーは必ずその嘘に気付きます。気持ちが高揚しているときもコーヒーはそれを伝えてくれます。コーヒーは誰よりも私のことを理解していて、よく見ています。
コーヒーというものを通じて、他人と繋がることが出来ていたというのは事実です。しかし、実はもっとも繋がることが出来ていたのは自分自身だったと、そう思うのです。
コーヒーによって素晴らしい世界を与えてもらい、そのコーヒーに苦しみ、そのコーヒーに喜び、喜怒哀楽をコーヒーで知る。
自分自身を映し出す鏡、それが私にとってのコーヒーです。